連続無窮にして休止せざらしめん ―祖母の葬儀を通して―

去る1月24日、前々坊守で私の祖母にあたる節子(みさこ)が95歳を一期として往生の素懐を遂げさせていただきました。感染症対策の為、大変心苦しくはあったのですが、入場に関して大幅に制限してのお勤めとなりました。それでも、前日の事前焼香・通夜、葬儀当日には境内に沢山の方がお参りくださり、あらためて祖母や勝福寺が多くの皆さまにお支えいただいていることを実感し、本当に有難く思いました。

祖母は元々心臓が弱く、晩年は不整脈や心不全で入退院を繰り返しました。1年半程前に幾度目かの退院をしてからは、在宅向けの診療・看護・リハビリ・入浴と沢山のサポートを受けながら自宅で過ごしていました。去年の12月初旬頃から、食べ物を飲み込む力が失われると、急激に体が衰えていきました。その頃から、お夕事のお参り後、子供を連れて祖母の顔を見に行くのを日課にしました。5歳の長男は「死」を理解しておらず、初めは面倒臭がっていましたが、ひ孫の顔を見て嬉しそうに笑う祖母の顔を見て、そしてその顔が日ごとに痩せていくのがわかって、数日後には素直に通うようになりました。そして24日の昼前になると、朝まで話ができていた祖母が、肩で大きく呼吸するようになりました。そして、それから間もなく眠るように息を引き取りました。日曜でしたから、子供たちも揃って祖母を看取ることができました。

27日に通夜を終え、寝床に入った後、子供たちと話をしました。

「明日はお葬式だよ。その後、火葬場という所に行くんだよ。生きているものが死ぬと、体が腐ってばい菌や虫が湧いたり、そのせいで周りの人を病気にしてしまったりするから、体を焼いて骨だけにする。嫌かもしれないけど、明日はおばあちゃんの顔が見られる最後の日。とても大事な日だから、一緒に手を合わせてね。びっくりするかもしれないけど、怖いかもしれないけど、お父さんお母さんと一緒に骨を拾ってね。」

そう話して眠りにつきました。

葬儀当日、子供たちは本当に行儀よく座ってくれました。出棺前には7歳の長女は泣いてくれました。収骨の際には長男は率先して前に出て、私の隣で骨を拾ってくれました。体はまだまだ小さくとも、この度の祖母の姿を通して多くのことを受け取ってくれたのだなと感じました。

コロナ禍以前から、葬儀に対する考え方は急激に変化しています。家族葬、小さなお葬式、お別れ会、更には葬儀をしないという選択 直葬など、それを『葬儀の多様化』という表現で聞くこともありますが、本当にそうでしょうか。手間やコストに重点を置いた葬儀に対する価値観の変化は、『葬儀の一元化』のようにも見えます。葬儀不要論でもよく言われることですが、確かに一生を生き終えた方に、残された私たちが直接何かして差し上げられることはありません。葬儀をお勤めしても、亡くなられたご本人が目にすることはできません。

ですが、それでも葬儀をお勤めするのは、大切な方の「いのち」を通して、大切な方の死を受け入れる時間を通して、自分自身の生き方を省みるためです。私たちの人生は、うまくいったとしても順番通りに逝かねばなりません。どんな形であれ、どこかで必ず大切な人との別れの縁に遇ってゆかねばなりません。そのことをしっかりと見つめながら人生を歩むことは、死を自分から縁遠いものと考え、目を伏せ、避けるように生きるより、ずっと喜びに満ちたものになるように思います。

倶会一処。大切な人と再び会える世界 お浄土のみ教えは、死が人との繋がりを完全に絶ち、終わらせるものではなく、縁で繋がった「いのち」がこれからも続いていくことをお伝え下さっています。親鸞聖人は、かつて道綽禅師の言葉を引用し、「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪へ、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」と仰っています。

後を生きる私は、祖母から何を受け取り、また次に繋げていくのか、深く考えさせられる本当に尊いご縁であります。南無阿弥陀仏。

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